台北、101と淡水河口

2019.08.10 Saturday 11:31
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    2009年2月

     

    台北高層ビル101、去年まで世界一高いオフィスビルでしたが、今は上海の新しいビルが世界一。高さに対抗しても余り意味は無いとは思うけど。揺れ防止とエレベーターは東芝の技術が使われてました。
    台北、上海ともバベルの塔がバブルの塔にならなければ良いのですが。。

    下の写真は台北(台湾)最北端の町、淡水(台湾語でダンシュイ)河口付近。
    この日は、台湾人、尺八の名人が日本を懐かしんで路上ライブをやってました。

    戦前の統治時代、父が台北第一中学を卒業しており、父も九州から留学の時代、この淡水を通って行き来し、同じ風景を眺めていたことを思うと胸が詰まります。何の変哲もない夕焼けの風景ですが私にとっては価値ある物です。(実際の九州から台湾への移動は門司港ー基隆港だったと思われます)


    卒業後、志願して陸軍に入隊して、最南端の高雄港(台湾語でガウシュン)からアジア戦線(厦門、海南島守備 フィリピン、インドネシア)に転戦したものと思われます。父の階級は曹長(軍刀保有)新兵からのたたき上げでした。合計8年間の軍隊生活で負傷は無かったと思ってましたが、記録を調べたら、厦門上陸後、負傷により、3か月間の病院(傷病)生活を送っています。厦門守備隊時代の出来事と思われますが、原因理由は分かりません。その後、海南島上陸作戦に参加し、米軍戦闘機による機銃掃射が一番怖かったそうです。

    その後フィリピン駐留後、インドネシア戦線に参加、上陸後はオランダ軍はとっくに逃げた後で、日本軍は相当に強かったと思われます。オランダ人の日本人蔑視はこんなことからも伺えます。インドネシアでは大きな戦闘は殆ど無く平和だったそうです。父の話だと、多くの日本兵は現地の人に親切にして、シーさん(先生の意)と呼ばれて慕われていたそうです。当時の写真を見ると現地の人達との笑顔の写真ばかりで戦争の雰囲気は全くありません。戦後のスカルノ大統領の親日政策を見ていると、略奪だけのオランダや他の欧州の列強たちの植民地政策とは全然違った政策だったことが伺えます。


    台湾は親日的な人が非常に多く、戦後、国民党支配の中、反日教育が行われましたが、殆ど影響は無かったように感じます。

    category:台湾旅行 | by:MHHcomments(0) | - | -
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